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かま日記 6/21(水)

6月21日(水)

 雨天。本日の利用者はなし。

 作業をしたり養護学校へ書類を届けたり。急に見学の方が来られたリ。日中一時の利用の依頼の連絡が相談員からあったり。事業所に詰めていると、それなりに連絡が入り、仕事が途切れることがない。ありがたいことだ。

 ちと、よもやま話。

 私が2年前まで60名規模の生活介護事業所でサビ管をしていた時に感じたこと。異動当初、私は初めてのサビ管であり、初めての管理職ということで、何をどうしたら良いのか、心情的にはてんやわんやの日々だった。その中で、実践を積み重ねていき、その実践の積み重ねを言語化し、そのことをわいわいと楽しめる集団に気付いた。それが、その事業所だった。その事業所の職員集団だった。きっと、昨日今日培われたものではなく、開設当初から綿々と受け継がれてきたこと。丁寧な関わり、合理的な判断、そしてある部分ではきちんと線を引く。言葉にすれば簡単だが、そのことを当たり前にしているスタッフ。そのことをしっかりと支えるベテランのスタッフ。価値観や支援内容の意味を、やみくもに伝えるのではなく、様々な場面を通して、明確な意図をもって伝える環境。しんどい電話が掛かってくる。通話を終えたスタッフに誰からともなく、おつかれさま、と云える集団。利用者や家族とのトラブル。それを当該スタッフの力量だけのせいにするのではなく、どのような対応をしても避けられないトラブルを引き受けてくれた人、と捉える。なんかね、それまでが割とぎすぎすとした環境に居たので、集団で集団を支援する、みんなで支え合うということが、こんなに面白いものだということに初めて気付かされたんですよ。あ、勘ぐらないでね。ぎすぎすってのは、私が勝手に思っていただけで、なんなら一番ぎすぎす感を出していたのは、私なので。そこで出会った人達は、今でも私の財産だと思っている。とてもしんどい現場。その現場をみんなが乗り越えられたのは、たとえ乗り越えられなかったと感じていたとしても、それはその事業所のスタッフ集団がもつ懐の深さなのだと思う。物理的にも精神的にも声の大きな人の意見ばかりが正論としてまかり通る。そんな息の詰まるような場面を、それまでの現場で沢山沢山見てきたので、初めて深呼吸の出来る場所に来たように感じていた。いや、別に個人をあれこれ云っているのではない。あくまでも私がそう感じたという話だ。

 私は今の事業所で何がしたいのか。それは、その時に感じた、実践を積み重ねることの面白さを、今一度原点に立ち返り、実感すること。なので、先ずは実践を積み重ねること。障害の重さや有無を枕詞にしなくても、その人のことが語れるようになること。相模原の事件からもう直ぐ1年になり、それはそれで何かの機会に書き留めたいが、価値があるとかないとかそんなことの枠さえ取り外して、生活介護事業所として重心と呼ばれる人の仕事や生き方について考え、その考えを言語化すること。ただ、それはよくある内輪受けのノリではなく、きちんと社会の価値観や倫理観を軸とした考え方の中で普通の言葉で語ること。そして、それを機能させること。それが大事だと思っている。同じ価値観を共有している人にしか分からない言語で語るべきではない。これまで、幾多のそのような発信があって、それゆえ開かれた部分もあるだろうし、逆に、それゆえ閉じられた部分もあると思うからだ。そして、日中一時支援事業をして改めて気付かされたこと。医療的な支援が必要であるがゆえに、利用出来るサービスが圧倒的に少ない。そして、安心して任せられる場所が、少ない。その方の為に、何か具体的にしていかなければならない。そんなことを色々と考える。

 このような事業所で働くスタッフのこともそうだ。福祉の事業所で働く人。その人達の多くは、まあ私もそうなのだが、自分の社会生活というものに概ね無頓着だ。利用者の社会参加、社会生活、地域での暮らしをと声高に云っているのにも関わらず、自分の時間や自分なりの過ごし方を驚くほど知らない。自分の生活を犠牲にして、仕事をしなければならない状況も勿論あるが、それにしても、だ。時代の所為でもあろう。性格の所為でもあろう。環境の所為でもあろう。そして、思うのだ。それでいいのか?自分が幸せではない人が、いや、少なくとも自分の幸せに気付いていない人が、他人の幸せなんて願えるのか?願ってもいいのか?それを願って実践を積み重ねられるのか?先ずは、自分が人間として当たり前に生きようよ。福祉の専門家になる前に、自分の専門家になろうよ。当たり前の暮らしや当事者主体の暮らしという前に、自分が主体的に生きようよ。いや、必ずしもそうでなくても良いけれど、自分がそのあるべき姿からどれだけ離れているのかについて、自覚しようよ。先ずは、自分が本当に幸せになろうよ。そして、その言葉は全て私自身に返って来ることは、自覚している。うん。自覚はしている。恐らく、うちの事業所は、利用者と共に職員も人間として、自分らしさを発揮しながら生きていく場にならなければならない。

 私?私は何が好きかと問われると、好きなものなんて何もない。利用者の為に、周囲のスタッフの為に、自分を犠牲にすることが大好きだ。そして、大変ですね、と云われることが大好きだ。私が自分を犠牲にして働くことで、周囲の誰しもが幸福にはなれないことを自覚しながら、それでもそうせざるを得ない人間だ。そして、中身らしきものは何もない。時間をやり過ごす術をもっているだけだ。打ち込めるものもない。楽しみもない。人の機嫌を敏感に感じ取り、または感じ取りたいと必死になり、言い訳をし、自己を正当化し、嘘をつき、人の言動に一喜一憂。そんな人間だ。自分の幸福なんて考えられない。いや、自分が幸福である所から人を見ることを望まない。本当はそんな人間に何かを語る資格なんて、ない。だからこそ、一緒に考えたいのだ。生への根源的な欲求として、感じたいのだ。音楽?好きですよ。本?読みますよ。楽器?演奏しますよ。それが、どうかしましたか?それしか私を構成する要素はないのですか?確かに、10代、20代の頃は色々と吸収していた。本や音楽や言葉や人から。しかし、今はその遺産で生きているようなもの。全くインプットがない。インプットしたことを喜びと出来る感性が、ない。ただ、これは私の感性の問題。茨木のり子の詩の言葉通りだ。

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 いやいや、今更、誰かの詩を引用して何かを伝えたいわけではない。自分の言葉で語らずに他人の言葉を引用するなんて、卑怯だ。下賤な表現だ。それに、そもそもこれは戦後になってから戦時中の気持ちを詠ったものだ。時代という得体の知れないものの中で、人間性を埋没させなければならなかった時代のものだ。こんな飽食の時代に、情報も物質も何でもある社会で甘えて生きている私に繋がるものなんて何もない。ただ、言葉というのは、突き刺さるものなのだ。突き刺さるからこそ、言葉なのだ。自分の感性が衰えたことは、自分の所為だ。しかし、少し長く生きてきて、感性が衰えたことで楽になった部分は、ある。曖昧にしても良いと思えることも増えた。しかし、それを逃げ場にしてはならない。ぎりぎりまで、自分というものを、自分という人間を突き詰めていかなければならない。

 内なる声が云う。自分を鏡で見てみろよって。どんなにいい格好をしたって、所詮その程度だって。ただ、その程度という場所から始めることを自覚するからこそ、人間は始まるのだ。時々、自分が本当にしたいことってなんだったんだろうって思う。生活介護は始まった。日中一時も頑張っている。しかし、本当に始まっているのか?始められているのか?そんな器だけのことを始めたかったのか?人間として始まってもいないのに、何が始まってるんだ?常に付きまとう自問自答。

 私はこの世にある全ての価値というものを疑いたい。人間だものって云って、人間を、社会を、生き様を、一段高い所から眺めて悟ったような言葉で割り切りたくはない。そんな、全てを諦めるような人間にはなりたくない。そして、始めるということは終わりが始まるということと同義だ。そして、終わることでしか始まらないこともある。そう、終わることでしか始まらないこともあるのだ。始まった所が、スタート地点なのだ。

 ごめん。まあ、そんな日もある。

 
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