かま日記 6/10(土)
6月10日(土)
晴天。本日の利用者は男性が1名と女性が1名。そして、女性の体験の方が1名。レッツ日中一時。体験の方は小学生。うふふ。うちに入った瞬間から戸惑いの表情。母上から目を離さず。この方は、自発呼吸なし、レスピレーター装着、というとめっちゃヘビーな感じで、いや実際ヘビーだとは思うのだが、口や鼻や目の動きで意思を伝えてくれる。そんなヘビーさとは別の次元で、自分の人生をきちんと生きている。生き方なんて人それぞれで、私は私よ、と云っているように思える。私はベッドの傍らで、無理やりギターの弾き語り。学校なんかで唄っていそうな曲は、よく聞いて下さる。某帽子屋さんの唄は、じっと聞いて下さっているようにも感じた。ただ、歌がどうこうというよりは、近くで構って欲しい気持ちの方が強いのかな。持続吸引の管を口から出しては、人を呼んでいたし。しかし、空が高いとか海が深いとかなんかそんな感じの唄の時は、目がうるっとしていたような。私の考え過ぎか。いや、考え過ぎでも良くて、要はそれを他の人に伝える時に、100%自分の思いだけで伝えるのではなく、このような自分の経験をひとつひとつ実感を持ちながら、どこかで客観的な視点ももちながら伝えていくことが大切なのだろう。感じる心は、自由だ。そして、継続してお付き合いしていく中で、もっともっと色々なことに気付くのだと思う。
そうこうしている内に、兄のようなNPO法人から理事長氏とそこで雇用予定の看護師さんも来訪。研修なのよ。研修と云いながら、色々お任せ。当てにしてすみません。せめて、雰囲気を沢山感じて帰って下さい。私の屍を乗り越えて行って下さい。
午前中は、体験の方のケアの伝達を母上から受ける。その間、男性と女性の利用者は昼食作りのお手伝い。じゃがいもを剥いたり洗ったり。なんか、怒ってみたり。
事業所ってね、やはり器なのだと思う。来てくれる利用者さんや来訪者や、毎日来るスタッフでも、その時の気分やメンバーで全く違うものになる。まあ、同じである必要はない。それが事業所のカラーであり、中身なのだろう。そうやって織り成していくものなのだろう。織物の経糸と横糸のように、その組み合わせや感情の在り様で、変わっていくものなのだろう。まあ、今日はこんなメンバーで、こんな感じの過ごし方です。これが、本日のかまもとです。
男性と女性の利用者さんは、ゆっくりとしたり外で風に当たったり。そんなふうに一日が過ぎていく。それが、場所ということ。焦る気持ちはあるけれど、それぞれの過ごしでいいんだと思える。
午後は契約。そして、一日が終了。ばいばい。またね!
送りの運転。運転がてら、契約が済んでいなかった利用者さんの家に上がり込み、契約。母上、父上が子供さんを迎える姿、帰宅してからゆっくりと身体を整える姿を見て、何故か胸を打たれるような気持ちになる。ごくごく当たり前の姿。当たり前だからこそ大切に育ててきた人生が垣間見える。その人生に触れさせてもらえる瞬間。大切にしたい。
おっと、情緒に流されそうだ。
夕方、送迎から戻ると、懐かしい顔が!私が以前サビ管をしていた事業所の看護師さんが3名、ぶらりと寄って下さいました。入口に入るなり、玄関に置いてあるグッズをあれこれ見て下さる。しめしめ。いや、わくわく。室内でTシャツ(カマT)を選んだり、ウクレレを弾いたり。そう、ウクレレを弾くボラに来て下さる方もご一緒です。夢の話やよもやま話。その日にあった楽しい話。そんな話を聞かせてもらうだけで幸せな気持ちです。ありがとう。
夕方、また魂が抜けるが、ふわりふわりとしたまま気になっていた資料の整理。現場のスタッフは必要なことを最大限やってくれている。元々ポテンシャルの高い人達だ。また、うちに遊びに来てくれる人も、心から心配し応援していくれている。勿論、利用者さんやご家族もそうだ。本当に応援してくれている。そんな人達の気持ちに触れる度に、たただただ責任の重さを感じる。色々なことに、焦りを感じながら、しかしこれで良いと納得しようとしている。何がしたいのか。何をするべきなのか。