かま日記 6/6(火)
6月6日(火)
曇天。本日の利用者は女性が1名。お元気そうです。私は10時から来客。近隣の養護学校に子供さんを通わせている母上。7月に体験をして、夏休み中に利用の計画。その合間に、昨日近隣の市で夏季の日中一時の説明会があり、私も無精ひげで参加し、誰からも指摘をされずに胸を撫で下ろしていたのだが、まあ、それはどうでも良いのだが、その説明を聞いたご家族から着電。夕方にも別の方から着電。明後日に学校へ様子を見に行くことにする。
利用者さんとスタッフ(オール女性)は、午前中に畑へ行くと見せかけて洋風甘味処へ。何でも本日はロールケーキの日ということでロールケーキを購入(6月6日だからということだが、根拠不明。というか、何とかの日ってのは既に食傷気味で、そんなことで購買率が上がったりするのか、と疑問に思うのだが、実際うちのスタッフは購入している訳で)。午後からはみんなで試食。ええ、私も頂きましたとも。心を込めて、一心不乱に頂きましたとも。普段は注入食の利用者さんも少しご相伴。あら、おいしい、と云っているようによく口が動く。うん、うんまい、は東海林さだお。しかし、利用者さんの表情や仕草を一方的に言語化することは、個人的にあまり好きではないのだが、今日はね、絶対にその通りの表情でした。うまかったよ、と。そうか。何とかの日ってのは、活動に於ける動機付けや意味付けとしてはとても重要なのだな、と、ロールケーキを頬張りながら思う。もぐもぐ。んまい。そして、ロールケーキといえば、ヨーロッパの永世中立国の名前を冠した商品しか食べたことがないので、おいしいロールケーキはおいしいのだな、と。いや、時計や精密機械で有名な国の名前を冠したロールケーキがおいしくないってことじゃなく。おいしさの目指しているベクトルが違うというか。と書きつつ、私は誰に気を遣っているのだろうか。 誰か教えて下さい。
昼には、私やスタッフと15年くらい前に入所施設で一緒に働いていた方が事業所の前を通り、ご挨拶とお喋り。数年前に脳梗塞で倒れたとのことで、片麻痺ながら、三輪車でメール便の配達。めっちゃパワフル。変わらんなー、あ、ちゃんと靴下履いてるやん、が第一声でした。当時の私は、どんな格好で働いてたんやろ。
午後は、玉ねぎを干して、ロールケーキの日を祝って、帰宅。ばいばい!
生活介護が稼働していない日の夏休みの日中一時や土曜の日中一時の申し込み用紙を作成。配布の準備をする。初めてなもので、全くシステマチックではない。今はまだ全てを把握出来ているから良いものの、この先どうなりますことやら。
電話が多い日はめっちゃ多いし、少ない日は全くない。恐らくこちらのアクションに対するリアクションが集中する為だと思うが。今の段階では問い合わせてもらってなんぼやと思ってますので、ありがたい話です。どんどん、ご連絡して下さい。
帰宅してから、日中一時利用者のご家族よりメール。10日(土)に学校で近隣の市の事業所と保護者が一緒に話す機会があるのだが、出席してくれるのか、というもの。その市の卒業後の進路について話をする機会。興味はあるが、10日は体験の方が来られ、契約をしなければならないので行けないかな。しかし、卒業後の進路について、ご家族、先生、事業所が話すのは大事な機会かと思う。また、卒業後の進路という数や枠の話から、その人が学校を卒業した後にどんな生活をしたいのか、どんな生活をしたいからどの事業所に行きたいのか、または行かないのか、という数や枠の話を超えた、ある意味夢物語のような話もしたい。数として行く場所があるから安心ではなく、その人の10年先を見た時にどんな暮らしをしているのかを考えていく機会になればと思う。事業所、特に生活介護事業所が足りないという話をよく聞く。では、どのような状態を足りている状態と定義するのか。また、その足りている状態は利用者の数的な問題であり、事業所にとってはそれで経営が成り立つのか。今後、足りているという状態にすることが目的であるなら、それは本当に達成可能な目標なのか。足りている足りていないという話をするならば、数だけで語るのではなく、実体はその方のもっている障害の状態像により、まちまちではないのか。重心タイプの方、特に医療的なケアの必要な方、或いは行動障害の状態像を呈する方。つまり、所謂、障害の重い方、それらの方にとって、本当の行き場が少ないことが問題ではないのか。そこが足りないのではないのか。
なんてことを思いつつ、帰宅の途につく。帰宅してから、スタッフより着電。7月の希望の休みを伝え間違えていたとのこと。なんとー!日中一時の希望用紙を作り直さなければー!!